2016年

8月

15日

ピースボートから帰ってきたー②

【ピースボート報告その2】
ピースボート船内では、寄港地に入港する日をのぞいて毎日、講座が100くらい同時進行で開かれています。スケジュール表はまるで新聞のテレビ欄。
韓国語教室、コンサート、アート、洋上会議、原爆や差別をテーマにした講演、ゲーム・・「水先案内人」と呼ばれる講師の方々も、辛淑玉さん、香山リカさん、原爆研究第一人者の木村朗先生、シールズの奥田愛基さん
など豪華!(しかも船上なのでいっしょに飲めたりする~)

よしっ私も自主企画講座をやるのだ!と日本国憲法をマンガのスライドで解説・・のはずが、パソコンが起動しないー!ぐわー!このためにわざわざノートパソコン買ったのにー!スタッフを拝みたおしてパソコンをお借りし、
プロジェクターに映してやっと始まった自主企画。が。借りたパソコンに文字が。「まもなくバッテリーが切れます」。ギャー!!切れる前に話し終えなきゃー!早口でまくしたて、最後のスライドが終わったとたんに画面が消えました。セーフ。講座がすんだとたんに自前のパソコン起動した・・ぐわああ。

 でも、これだけじゃすまなかった・・

長崎で教会めぐりのツアーガイドをするため、もうひとつ自主企画「長崎のキリシタン史」を語る会を開きました。今度はパソコンもバッチリだ。韓国はキリスト教の方が多いので、たくさん参加してくださってイスが足りなくなるほど。おお、気合い入るぞー。

ところが。
船内は企画が目白押しなので、オープンスペースをついたてで区切って企画が行われているのですが、となりのスペースで同時刻にお祭りが始まった!大音量でソーラン節が流れ、踊る人たちの大合唱。ギャー!こっちの声がかき消されるー!聞こえないので参加者がどんどん去っていくー!結局、大音量のなか、参加者の皆さんと身をよせあって「ザビエルが・・」(泣)

 そんなこんなで旅は続いていきます。
 デッキでたまたま隣り合わせた韓国人の80歳のオモニ(お母さん)は、小さいころ日本軍に日本語を覚えさせられたと話してくれました。「あ・い・う・え・お・・」。今でも覚えている日本語を語ってくれた時、申し訳なさで一杯になって思わず頭を下げたら、オモニは私の肩をやさしくなでてくれました。

着付けの先生でもある同室の女性が、オモニ母子に浴衣を着せてあげることに!
みんなで浴衣着ておめかし。オモニの車いすを押しながらデッキを進むと、デッキにいる人たちが立ち止まって「きれいねえ」。オモニ大喜び。なんだか胸がいっぱいになりました。昔、日本軍に傷つけられた心を、今日の
出来事が少しでもいやしてくれただろうか。

 日本の歌「ふるさと」と、韓国版「ふるさと」の「故郷の春」をみんなで大合唱。

 ここはまるで「解放区」。「権力」からの。「国境」や「民族」といった「線引き」からの。

私たちは生まれた場所や、見た目が少しずつ違うだけ。ただ、その姿でそこにいていい。だって、こうしてつながれるのだから――歌いながらそう思いました。銀のびろうどを敷きつめたような波間を、船が進んでいきます。
アジアの私たちを乗せて。