2016年

8月

13日

ピースボートから帰ってきた~

★ 長崎の西岡由香 さんから: 青柳さんへ (青柳行信さんメルマガより)

ピースボートから帰ってきましたー!
出発前、青柳さんたちからパワーをいただいたおかげで、ハードな旅も無事終えることができました。
沖縄の辺野古では、安心富さんにお会いして「青柳さんがよろしくと言われていました」と伝えたらとても喜ばれて、「ともにがんばろう」と握手してくださいました。
9日の原爆忌までバタバタしていましたが、ピースボートレポート書いてみましたので、3回にわけてお送りさせていただきますね。

(ピースボートレポート その①)
7月29日から一週間、ピースボートで旅をしてきました。年に一度の日韓共催クルーズには日本人と韓国人が500人ずつ乗船。南相馬市や熊本県阿蘇地方の子どもたちも大勢招待されていて、船じゅう子どもだらけ。船内は日本語と韓国語が飛び交い、普通に着物やチマチョゴリの女性が歩き、子どもがはしゃぎ、沖縄訪問の夜は日韓入り乱れてカチャーシーを踊る。うわー、もしかしたら日本国憲法がめざすのって、こんな光景じゃないんだろうか。
ハプニング連発の船旅レポート、3回にわけてお届けします。
最初の寄港地、釜山では釜山市郊外にある古里(コリ)原発見学ツアーに参加しました。
1977年に稼働した古里原発は、遠目からでもコンクリートの劣化が見て取れるほど。
原発から7kmの所に住むイ・テソンさんが、原発横にあるPR館を案内してくれました。佐賀県の玄海原発横にあるPR施設「エネルギーパーク」と同じような、原発のハイテクや安全性をアピールする施設には「日本の原発は事故を起こしたけれど韓国はちゃんとやっています」と表記されているとか。原発のすぐ近くにアパート群があり、民家や商店がひしめいています。テソンさんが説明してくれました。「アパートの住民は原発職員。職員以外の住民とは連携していなくて、避難訓練のときも連絡がない。おそらく事故が起きても知らされないだろう」。「核廃棄物がどこにあるかも我々は知らされないし、“原発が安全だというならソウルに作れ”と言ったら“ソウルでは安全でない”と言われた」。(なんじゃそりゃー!)驚いたのは、原発下の海で10人ほどの海女さんが海に潜って海草や魚をとっていたこと。とれた魚はすぐトラックに積まれて運ばれていきました。原発温排水の排出口は沖にあるそうですが・・テソンさんは、ご自身が大腸ガン、妻は甲状腺ガン。専門病院に行くと「たくさんの知人がガンになっていた」と、電力会社を相手に損害賠償訴訟を決意します。2015年、釜山地裁はテソンさん勝訴の判決を出しました。判決文は「法令で定められた年間有効線量は、国民健康上の危害を防止するための最小限の基準であり、安全を保障する数値だと断定できない」。
 電力会社はすぐに控訴して、裁判は継続中。テソンさん、訴訟前は周りから「クレイジー」と非難されたそうですが、勝訴後は周辺住民が共同訴訟を計画したり、釜山市が計画している、原発近くの海水を淡水化して飲料水にする計画(とんでもねー)に住民が撤退要求をするなど、変化が広がっているそうです。別れ際にテソンさんが語った言葉が忘れられません。「運動とは、自分の弱さを強さに変えていくことです」。