2016年

1月

28日

フィリピン人の犠牲者たちを「忘れてはならない」

私が小学生2年の時に、父が学習院大学のある教授と学生数人と共にフィリピンに行きました。戦後まだ日本とフィリピンが国交回復する前のこと。日本としては父たち一行の民間人が初めてフィリピンを訪れました。クリーブランド号という大きな船で横浜から1週間かけて渡り、3ヶ月間の訪問でした。

1月28日東京新聞の一面、社会面他に掲載されたフィリピンの事。特に社会面の抗日ゲリラに身を投じたミゲル・ペレス・ルビオさんの記事に胸が締め付けられました。帰国後に父から聞いた話が彷彿として蘇ったからです。父たちの一行は反日感情が強くて危険だからと警官たちに前後を護衛されながら移動したようですが、街中では現地の人たちから石を投げつけられ罵声を浴びたと言っていました。そんな中、3ヶ月の間には父がどうしても床屋に行きたくなり、よした方が良いという警官の反対を押し切って街の床屋に行きました。驚いたことに床屋さんが刃物を持っているからという理由で父が座った椅子の両サイドにぴたりと二人の警官が立って護衛したそうです。「それほど日本兵は随分酷い事をしたんだよ」と話す父の話は凄惨なものでした。女性の頭に熱したコールタールをかぶせて、そのまま髪と一緒にベリッと剥がした。赤ちゃんを空にほおり投げて槍で下から突き刺して殺した。女の人の股を裂いた。などなど。その時に聞いた衝撃的な話がどうして忘れることができましょうか。それでも父たちは時のマグサイサイ大統領から名誉市民に授与されるという木製の大きな鍵を渡されました。銀色に塗られて赤い大きなリボンが結ばれていました。私は日本人が悪いことをしたのに何故こんな素敵なものをいただけるのだろうか?と不思議な気持ちでした。

新聞のタイトルに「深い憎しみ時が癒す」とあります。ミゲルさんの言葉です。被害者から加害者への許しの言葉を先に下さるのはどういうことだろうかと子供の時に感じたのと同じ気持ちです。どんな言葉をもってしても取り繕えないし、言い訳する言葉が見つかりません。だからこそフィリピンで何が起きたかを含めて子供たちに戦争の歴史を教えて欲しいというミゲルさんにしっかり約束しなければならないと思いました。