東電社員が労災申請

「原発賠償事務で睡眠不足・うつ病・そして解雇」

 

会社が労災として取り扱ってくれなかったことで、私は長い間悩んできました。会社に尽くしてきて見捨てられ、精神的な追い詰められる感じは独特なものです。

私にとっては賠償業務での精神的な負荷よりキツいものがありました。

ニュースでは謝り対応の部署が大変でうつ病になったと報道されていたのですが、実際はそうではなく、会社の無茶ぶりとしか言えない無理な配置換えや無理な組織改編によるところで慢性的な睡眠不足とプレッシャー、管理職が管理出来ないレベルの繁忙感、過重労働が原因で身体のコントロールに支障が出るレベルまでの負荷がかかりました。

もちろんメディア報道にあったように、審査した金額にご納得いただけない場合のご説明とお詫びは厳しいものでしたが、私はどんなに厳しくても原子力事故を起こした会社の社員だから厳しいお言葉を受けるのが当然だと思っていて苦しいけど、心を病むことは一度もありませんでした。

だって原子力事故で被災されてそれまで積み上げてきた努力や幸せが奪われてしまったのだから、怒ったり感情的になられたりするのは当然です。

誰かがやり場のない怒りを受け止めないと被災された方は本当にやりきれないだろうから、私は社員としてその役にあたるのが当然の仕事だと考えていました。

私が最初に賠償に携わった時の叱られ役の部署にいた皆さんも同じ思いで受け止めて対応していたと思います。

時には説明する側の私たちが納得できないような基準でお力になれずごめんなさいをしないといけなかったため、ADR(仲裁センター)へご案内する時もありました。

よく東電が嫌ならやめればいい、なんでそんなところにいるんだと言われますが、ちょっと違うのかなと思ったりもします。

当時は社員というだけで犯罪者扱いされるような状況だったため、私のような年齢なら転職がきくので転職をしたほうが楽でした。

当時の東電社員というレッテルは病院で保険証を見せたら後ろに並んでいる人に引っ叩かれたというくらいのものでした。

転職した社員は泥舟から逃げたと言われてますが、私からするとそれもちょっと違うのかなと思います。

たとえば海外の研究機関に派遣されていた同期で周りに同じ立場の人間がいない中で事故のニュースを知り、ひとりでショックを受けて帰国早々に転職した同期がいて、彼の転職の報告を聞いた時はちょっと羨ましいけど彼にとって良かった、これで彼はまた明るく生きていけるとホッとしたというのが本音でした。同期の転職は嬉しいものでした。

私の場合は同じ立場を共有できる同僚が身近にいたので、起こしてしまったことに自分がどれだけ何を出来るかわからなかったけど、こういう時のためにこそ責任という言葉があると思って転職をせずに残りました。

もちろん、人間なので賠償業務の中で厳しい役職に上がっていき過酷な労働環境になればなるほど、自分も人間らしい生活がしたいと感じて転職する人を羨ましくも思いました。

東電を正当化するつもりはありませんが、家族への嫌がらせなどで転職を余儀なくされた方もいると聞いています。

事情は人それぞれですので他者がどうこう突っ込む話でもなく、転職された方で負い目を感じている方がいれば、それを負い目に感じることもないと思います。

私は賠償業務への異動が決まった時に、もう電力事業には戻らない、賠償では誰からも頼られるくらい極めよう、この辞令は片道切符だと腹をくくりました。

今週末で解職を通告されているので、その時はまさかこんな形で片道切符になるとは思わなかったのですが、可能な限り賠償業務に携わろうと思いました。

最初についた協議という名のご説明部隊(実際は審査内容にご納得いただけないので電話をされてくるのだから叱られ役)の時は時には3時間にわたるお叱りもありましたが、そのケースは個別のご事情が強くて基準に当てはめて考えにくい上に審査がずさんなケースだったので、非常に全うなお叱りで、お叱りに共感するところが強くありました。

ずさんな審査をした社員にはムカついたので、電話越しに叱られながら私もムカつきます、審査した社員を許せません、と言って妙に共感をしていました。

その会社の賠償案件は私が引き取らせていただき丁寧に審査をするということでご理解をいただき、再審査をしてちゃんとした審査額を算定させてもらいました。

何事にも担当者の当たりはずれがあると思いますが、私は当たりの担当者だと思ってもらえるようになりたい、そういう想いで賠償をやってきました。

その会社にはちゃんとご事情をお伺いして賠償額を弾き出して信頼をしていただき、何回か担当させていただきました。

しかし東大卒のマネージャーが重箱の隅をつつくかのような理由で審査額をゼロにしようとした時は物凄いストレスでテンパりました。

頭の回転が早い人を相手に回転力で競っても負けてしまいます。マネージャーにどうこう言われても自分が弾き出した賠償額に自信があって1円足りとも譲りたくなかったので、こちらの強みが発揮出来る土俵に引っ張り出して勝負して賠償金を勝ち取り、私の算定額通りにお支払いをしてきました。

私が記者会見を開いたのは職場の労働環境が悪化していて関連会社社員を含めてかなりの方が疲弊しているためです。

ご被災された方のつらさを考えれば当然だと言われてしまうのかもしれたせんが、東京電力には無茶ぶりをする体質や都合の悪いことを隠す体質があり、賠償はもちろんのこと、電気事業の職場でも労働環境が悪化する中で、健康維持への配慮が何もされず、健康不安に怯えたり、療養を余儀なくされ退職をしてしまった人を見てきました。

このままいけば社員が疲弊して会社が立ちいかなくなることが目に見えているため、支社労務担当者との交渉の中では、私の例を本社に示してマニュアルが実態に沿わないことや、ちゃんと会社のことを考えて労働環境に配慮する職場に見直して欲しいとお願いをしてきました。

組合の機関紙でも7割以上が強いストレスや肉体的な負荷を感じているという厳しい現状が報告されています。

会社に国の認定基準を見せて労災として扱ってほしいとお願いをしましたが、自分で申請してくださいとのことで、証拠が見つからなかった今年の春までは本当に落ち込むことが多く、悩んできました。

また今年の4月から始まった会社との話し合いでは、労働者から労災申請をするのは難しいから、会社から労災申請をしてほしいと再三お願いをしてきました。

会社がやらないならとっとと自分で労災申請すればいいじゃないかと簡単に思われる方もいると思いますが、認定されるためには業務に起因することを立証する証拠がいるため、なかなか難しいものです。

また実際には雇われている身分の社員が、会社が不利になる事実を証言してくれることもまれなことです。

仕方がないから私は賠償で培った能力を頼りに200ページを超える資料を作成して提出しました。

 私の労災申請が、東電の労働環境の悪化や企業体質の改善につながるきっかけになることを祈ります。

 

 

                             一井唯史