ピースボートから帰ってきた~最終回


【ピースボート報告最終回】
一週間の航海を終えて、ピースボートは沖縄から長崎港へ。
船はパナマ船籍なので日本人でも「入国」扱いになり、私はトランク抱えて税関で荷物検査に並びました。
職員が「毒物持っていませんか?」持ってるわけないじゃーん。と、税関の男性が「これは?」私のトランクから出したのは、沖縄のお土産で買った「ハブ毒ちんすこう」。15個のうち3つが激辛で、食べて盛り上がろう!という遊び心のお菓子名なのですが・・「ハブ毒ちんすこう」でまさかの入国拒否か!?と思ったら税関職員が話のわかる人で(^^;)笑って通してくれました。

 オプショナルツアーでは遠藤周作さんの小説「沈黙」の舞台となった外海(そとめ)へ日韓の皆さんをご案内。
明治時代に訪れたフランス人のド・ロ神父様は外海の貧しさをみかねて、「魂の入れもの、体を放ってはおけません」と、医療、農業、職業訓練、開墾など外海のために力を尽くしました。いまでも「ド・ロ様」と慕われ
ている神父が建てた、真っ白な出津教会でともに祈りました。かつて女性たちが働いた救助院の建物では、地元の信者さんたちがド・ロ様の畑でとれた野菜をつかって昼食のおもてなし。心づくしのごちそうに歓声があがります。焼きたてのパン、赤飯、かぼちゃのスープ、蒸し鶏、じゃがいもとチーズときゅうりのクレープ包み、オクラの卵とじ、魚のムニエル、レモングラスのハーブティ。韓国人の男性が「ド・ロ神父が皆に分け与えたんだったら、僕だって」とみんなに分けてくれたのはキムチ。ド・ロ様メニューにキムチが加わって、ますます賑やかなテーブルに。お土産に地元柑橘類でつくったようかんを頂いて、いつまでも手を振ってくれる信者さんに、皆さん「素晴らしかった…」。

遠藤周作文学館では、小説「沈黙」の世界を堪能しました。
まるで携帯電話を充電器にかけるように元気をもらって外海を後にし、市街地に戻って浦上天主堂の「被爆マリア像」に頭を垂れ、爆心地公園の「朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」、原爆落下(投下)中心碑の前でみんなで黙とう。
広島から参加した女性は「私は偶然被爆を免れたけれど、幼なじみはみんな原爆で“蒸発”してしまった。だから同級生が一人もいない。生き残った者の責任として 平和活動をしているのよ」。

 かつて政府批判をして5回投獄されたという韓国の男性は、韓国語版「沈黙」 を読んで参加したとか。いろんな人たちが、いろんな思いでこのツアーに参加し てくれた。その奇蹟に、ただ感謝するばかりです。隣のピースボートスタッフさんがぽつり「平和って、共同作業のことですね・・」。明治時代、フランス人のド・ロ神父が外海の人たちを救ったように。遠藤先生の「沈黙」が韓国で愛読されているように。愛する心に、国境なんてない。
韓国の人が「日本の憲法は日本だけの憲法じゃない。日中韓の市民が力をあわせて守っていこう」。

ああ、私たちにはこんなに力強い隣人たちがいる。船旅は終わったけれど、また、新しい旅に出よう。
戦争を防ぐ最大の方法は、きっと、国境や立場や思想の違いをこえて、友だちをつくることだから。