2017.9.13 新着情報 

超拡散希望。皆さんのRTが難民の人々を救います。入管が一番嫌がることは報道でその実態を伝えられること。過去、志葉が記事で取り上げた難民の方も、記事配信後に仮放免されています。くり返しになりますが皆さんのRTが難民の人々を救います!(満田夏花さんツイッターから)

独房に監禁、医療受けさせず死亡、腐った給食―難民虐待の東京入国管理局 ヤフーニュース ←ーーこちら

 

2017.9.10 新着情報

倉持さんのコラム。

とても刺激を受けました。

ベネズエラ人指揮者は「自由の戦士」として闘う -

倉持麟太郎  WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト

白石草さんTwitter ←ーーこちら

新着情報 2017.9.9

関東大震災時の朝鮮人虐殺―そのとき、軍、警察、民衆は何をしたのか

日 時:2017年9月10日(日) 13:30-15:30頃終了予定
場 所:wam内オープンスペース  (アクセス)
参加費:800円(wam会員割引あり)

講 師:山田昭次(立教大学名誉教授)    WAM   ←ーーこちら

新着情報 2017.9.5 

関東大震災中国人虐殺を考える集いと慰霊式(9月3~4日)が執り行われました。


新着情報 2017.9.5 

関東大震災中国人虐殺を考える集いと慰霊式 (9月3~4日)

下の写真は遺族の「連判状」 

中日交流活動は2013年から始まり毎年5月に日本から温州で被害者遺族たちとの追悼活動を続けている。そして被害者遺族たちが来日し、2014年9月8日に安倍晋三宛の謝罪賠償を求める請願書を渡した。(☝の写真はその時渡した連判状の写し)請願書は主に以下の内容

1.日本国家の責任を全うして歴史事実を認め、1923年関東大震災時期に虐殺された中国人受難者とその遺族に謝罪すること

2.1924年の日本内閣に決定された賠償案に基づき、現行の国際習慣や物価水準に従い、修正された受難者の人数に合わせて賠償を実施すること

3.歴史を鑑みにして、次の世代に歴史真実を伝えるため、加害現地に於いて劉中国人と朝鮮人被害者の記念館、記念碑を建立すること

4.日本の歴史教科書にこの事実を明記して、日本人若者に真実を伝えること

   (温州大学人文学院副委員長 劉建国氏による文の一部抜粋)

新着情報 2017.9.4

9月1日は関東大震災の日。朝鮮人・中国人虐殺の日。小池知事の追悼文拒否・取りやめ=排外的姿勢=に異議!

東京・生活者ネットワーク

☜写真

2009年に建立された「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」。碑の裏面には、「一九二三年 関東大震災の時、日本の軍隊・警察・流言蜚語を信じた民衆によって、多くの韓国・朝鮮人が殺害された。東京の下町一帯でも、植民地下の故郷を離れ日本に来ていた人々が、名も知られぬまま尊い命を奪われた。この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願ってこの碑を建立する。二〇〇九年 九月 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会/グループ ほうせんか」としるされている。2014年9月6日の追悼式当日

 

新着情報 2017.9.3

都知事の追悼文なしに参列者怒り~朝鮮人犠牲者追悼式 

1923年の関東大震災から94年となる1日、震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典が、東京都墨田区の横網町公園で開かれた。しかし、昨年まで続けられていた東京都知事と墨田区長からの追悼文が寄せられず、主催者や参列者からは落胆と怒りの声が上がった。  動画 ←--こちら

関東大震災中国人虐殺を考える集い 

1923年9月の関東大震災時にたくさんの朝鮮人とともに、700人におよぶ中国人が虐殺されました。9月3日 全水道会館にて


 

2017.9.2  新着情報  (青柳信行さんメルマガより)

★ 西岡由香 さんから:  長崎より 

 青柳さま    こんにちは。久しぶりに投稿させていただきます。 

830日に逝去された被爆者の谷口稜曄さんの告別式に参列してきました。 会場の壁一面は被爆者団体やたくさんの方からのお花で埋めつくされ、壁だけでなく廊下や階段まで花でぎっしり。「証言の鬼のようだった」という谷口さんが生前語っていた言葉が、弔辞で紹介されました。 

「核廃絶という使命を背負うことで生きる意味を見いだした」 

「忘却はこわい。一人でも多くの被爆者の体験を聞いて想像してほしい。大切な人が灰になった姿を。絶望にくれる自分の姿を」。 

 長崎市長は弔辞で「谷口さんは意志に従って行動する人でした。(7月に国連で採択された)核兵器禁止条約は、長年活動を続けてこられた谷口さんへのご褒美かも。もう背中が痛むことはありません。ゆっくりお休みください」。 

 原爆で赤く焼けた背中。去年谷口さんに、その背中をさわらせていただいたことを思い出します。ヤケドのあとが地図のように、てかてかしていて、でもやわらかくて、温かだった。石のような塊が

いくつもできて、あおむけになると「石をまいた布団に寝ているよう」。ちょっとでも体重が増えると背中の皮膚が裂けるので「美味かものは食べられんと」。 

感極まったのは、ロビーに谷口さんの棺が現れたときでした。ご出棺を待っていた100人ほどの方たちが谷口さんの棺を囲むと、誰からともなく「原爆を許すまじ」の合唱が始まったのです。 

 

ああ許すまじ原爆を 

三たび許すまじ原爆を 

世界の上に・・・

 

さざなみのような合唱の中を、谷口さんは旅立っていかれました。

 やっとあおむけに寝られますね、谷口さん―― 

 ささやかで、ちっぽけだけれど、このいのちを平和のためにつかいたい、と誓いました。谷口さんがその背中で伝えてくれたように。三たびこの空に原爆が落とされないように――

 

2017.9.1  新着情報

菊池事件を知っていますか?

8月30日の毎日新聞で、昨日29日、ハンセン病元患者6人が熊本地裁に訴訟を起こしたことを知りました。
ああ、ついに・・・
涙で字がにじみました。...

菊池事件は、ハンセン病の「狭山事件」といわれている差別ゆえの冤罪事件です。

1951年、熊本県で村の元職員宅にダイナマイトが投げ込まれ、殺人未遂容疑で逮捕された男性Mさん。
Mさんは、ハンセン病療養所菊池恵楓園への入所を拒否していました。
Mさんは1審判決後に拘置所から脱走しますが、その1か月後に、村の元職員が刺殺体で見つかります。
今度は殺人罪で逮捕され、無実を訴えたにもかかわらず、死刑判決を受け、1962年に死刑が執行されました。
裁判は公開ではない特別法廷で行われ、白衣を着た裁判官、検察官、弁護人たちが箸で証拠品を扱いました。
死刑執行は、3度目の再審請求が棄却された翌日というむごさ。
ハンセン病ということがなければ、ありえなかったようなことが、たくさんありました。(松原康彦さんFBより)

菊池事件の死刑執行「死んでも死にきれない」 元ハンセン病患者ら国を提訴  西日本新聞  ←ーーこちら 

2017.9.2  新着情報

ちょっとした心遣いが大切です。全国の視覚障がい者約300人でつくる「#全日本盲導犬使用者の会」が、街中で声掛けや補助をしてくれた人に感謝のシールを渡す「ありがとう運動」を始めました。障がいへの理解と支援が広がってほしいと思います。

親子で学ぶうTwitterさんより

        東京新聞  ←ーーこちら


新着情報 2017.8.10

成田空港建設反対運動の北原鉱治さん、死去             NHK NEWS WEB   ←ーーこちら

 

新着情報 2017.8.9

新国立過労自殺 

大成建設に抗議

「五輪工事で死ぬって分かってた」

田中龍作Twitter  ←ーーこちら